ドロ舟のカナヅチ

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国家の統治スタイルと、国家の経済スタイルは別のハナシらしい ソレハソレ、コレハコレ

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/01/post-97778.php

中国が資本主義経済というプラットフォームを使いこなしている。人口を生産力としてではなく、消費力として資本主義経済圏で武器化するのに成功していると言えるか。

2022/01/05 17:30


中国が資本主義経済というプラットフォームを使いこなしている。人口を生産力としてではなく、消費力として資本主義経済圏で武器化するのに成功していると言えるか。 - kikai-taro のブックマーク / はてなブックマーク

「2位じゃダメなんでしょうか?」という言葉は既に使い古されたものになったけど、組織や国家ではダメなんだろうな、と。もちろん、個人が1位である必要性なんてなくて、そもそもそういう順位を問題とすることには前提として、誰かが決めたスケールがあるわけで、そのスケール上での競争での「1位」とか「2位」なんだけど。

「1位」という順位づけが必要になるのは、主に何かの価値交換がおこなわれる場面であって、たとえばスパコンは1位じゃないと誰も使ってくれない、買ってくれない。なぜかと言うと計算性能が一番重要なスケールになるからです。スパコンでクリティカルな問題をシミュレートしようという人たちは、値切ったりしません。いろんな意味でその必要がないから。Core i5だけど安いからコッチにしよう、なんて決め方はしないはずです。

ということで、「1位」というのはそれなりに重要な意味を帯びるわけです。

個人成績での「1位」というのは、その競争の母集団の数の多さもあって、個々人の努力もさることながら運の力も大いに影響する分野で、「2位」であっても「3位」であっても、たとえそれが「入賞」とか「上位10パーセント」であっても大いに意味があると思います。全国模試上位20パーセントとか、十分に有意でしょ? 

これは、ここでのスケールが直接に何かの価値交換に影響するものではないからこその「2位でもいいですよ」なわけです。五輪優勝者がその記録を換金化するのは、優勝とは別の話です。

さて、国際競争での「1位」というのはどういう意味合いを持っているのかな、と考えてみると、もちろん「1位」であるに越したことはないわけですが、それは個人成績の「1位」にも似て、一種の棚ぼたとか天恵に似ているのかな、と。努力してみたらたまたま1位になれた、頑張ったらトップの座を射止めたといったものでしょう。これは競争相手がたくさんいる、つまり競争の母集団が大勢いると同時に、努力や頑張る主体を構成している構成員=国民も大勢いて、不確定要素が大きいからだと考えます。構成員だけでなく、歴史や地政学的な要因もあります。

なので、頑張って「1位」をとれるものではないのかな、と。

が、「1位」になることをどう取り扱うのか、何を持って測れば「1位」になれるのか、その辺には大いに注意を払うべきかと。同じものでも定規の当て方ではトップになったりならなかったりするわけです。

中国は今のところ、世界最大の人口を持つ国なわけですが、これを生産者としての世界一と測るか、消費者としての世界一と測るか、その辺の感覚が抜かりないな、と思うわけです。資本主義経済のスケールを巧いこと使いこなしている。ただこれも、中華人民共和国の国境の内側という版図のとらえかたによってビミョーな雰囲気が醸されてしまうことも確かなわけで、そこんところに中共と最高指導者は心を砕いているのではないでしょうか。

その辺、日本はまだまだナイーブなのかな、と思うわけです。