ドロ舟のカナヅチ

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「コロナ禍」の総括の季節がやってきた(夏の課題)

「また…」 東京 4回目の緊急事態宣言 暮らしはどうなる? | 新型コロナウイルス | NHKニュース

「この一年間、何をやってきたのか。どうすればよかったのか。これからどうするのか」一一夏休みの自由研究課題だな。

2021/07/08 20:10

月曜日が期末試験の苦手科目の試験日で、その前日が幸いにして日曜日。学校から帰ってきた土曜日の昼過ぎに、「今日あすで、△△の問題を2回解ける」とか威勢のいいことを言っていた息子だけど、案の定、パソコンの画面でマンガばかり読んでいたんだろうと思う。それも著作権的に非常に問題がありそうなやつなんだけど(なんで YouTubeはあんなのを結果として許しているンだろうか)。

日曜日も夕方になって、ようやく明日の試験範囲を確認するなんて、どうかしてるゼ、息子よ。まあ、客観的に見ればね。

息子は自分の気持ちに負けてしまって、現実への対処が疎かになっているけど、これは大半の人に当てはまる経験だと思う。もちろん私も立派な経験者であって、開き直って言わせてもらえば、圧倒的大多数である一般大衆の特権的人生経験だ エヘン(わけわからん)。

コロナ禍の所為で、去年から学校がネットを使って課題や資料を配布したり、YouTubeで授業動画を流したりするから、息子はどうしても誘惑に負けるわけだ。おそらくうちの子だけでなく、相当数の生徒が同じ罠にはまっているだろう。学校側は、この一年間の知見を糧にしてもらいたい。(ていうかさ、初等教育中等教育向けの「デジタル砂箱」を国で作ればいいんだよ。中国のグレート・ファイヤーウォールのミニ版みたいなやつ。無免許の子供にスポーツカー与えてネット公道を自由に走らせてるくせに、頭髪の色や縮れ具合を気にするなんて滑稽だよね)

この点は日本政府をはじめとして、みんなから選ばれた「公人」と呼ばれる人たちにも当てはまるわけで、この一年間、コロナ禍と呼んでいるこの事態に対する判断と行動とを反省する時期がやってきている。言ってみれば、この夏の研究課題を突き付けられているわけだ。

一年以上まるまる回してみて、医学的とか科学的とか知見は蓄積されているだろう。ワクチンがその代表例だろうし、死亡者数が減ってきているのも保健・医療現場の知見と努力の賜物。スパコン富岳でのシミュレーションで、こういうマスクのつけ方や座り方がふさわしいというのもわかってきている。人の動き(人流)を携帯電話やスマホの位置情報を使って計測することで、どのようなマクロな活動が感染を広げるのかもわかってきた。

翻って、政治の判断と行政の動きはどうだったのか。そこを反省するための考え方の枠組み、フレームワークについて作り始めないと、同じことを繰り返すだろう。2002年のSARSの際に、他山の石として政治判断と行政活動をおこなっていたとしたら、どうだったろうか。「もしこの事態と同等のことが、日本で将来起きたらどうなるのか?」について考え、準備をしていたとしたら。

まあ、こんなこといくら言ったところで、後付けで、あとの祭りなんだけど。

すべてを水に流すのが得意な日本人のことだから、災厄に対する処し方の失敗を忘れるだけでなく、その失敗を反省することすらも忘れるんだろう。都合の悪いことはなかったことにするという必殺技が通用する期間は、あと何年残されているだろうか。自然災害や感染症は、科学的で統計的な存在だから、人間側の都合や思いなんて忖度してはくれない。お友達価格とか通用しない。そういうことだ。時計は止められない。

 

最初の緊急事態宣言を使って、「巣ごもり全日本カップ」をやってれば、今頃は個人端末を持たない国民は一人もいなくて、マイナンバーは普及しきって、ワクチン接種の一括管理もスムースにできていただろう。重傷者だって死者だって減らせただろう。

日本が世界に冠たるデジタルゲームを使って新型コロナ危機に相対しようと、どうしてしなかったのかがわからくて不思議なんだけど。つまりは、「クールジャパン」と持てはやしていたところで、政治家や官僚や行政者がまともに取り合っていなかったということなんだろう。「クール」の使い方が二重に間違ってるゼ。

「そもそも話」になるけど、2002年のSARS騒動の時には iモードの時代で、すでに日本全国を丸ごと網羅できるような情報環境に移行するだけの素地はあったのだ。が、昭和脳なオジサン達にはわからなかったんだろうと思う。所詮お・あ・そ・び、て。

もしも 2002年に「iモード・ザ・ジャパン」のような情報環境が確立されていたとしたら、今頃はスマホじゃなくてガラケー iモードが世界標準端末になっていた可能性もある。スティーヴ・ジョブズiPhoneなんて発明していなかったかもしれない。

◇ ◇

歴史に「もしも」は禁物だけど、そういう妄想を抱きたくなる。そして、どこの馬の骨ともわからない民草である私には、こういう妄想を無責任に吐き散らかす特権があるのだ。エヘン